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住み方あれこれ Vol.2 島村智太郎・恭子 夫妻

移住者の先輩

妻の沖縄転勤に私は喜んで会社を辞めた

夜は零下10度にまで達する冬の厳しい岩手・盛岡から、この春、南国沖縄に移り住んできた島村智太郎さんと恭子さん夫妻。「見るもの・聞くもの珍しいことばかり」(恭子さん)で、「海がすぐそばにある暮らしに癒されている」(智太郎さん)というホヤホヤの新米移住者である。

休日には自宅付近の海辺を散歩したり、食べ歩きを楽しんだり、知人に料理のレシピを教えてもらったりと、いかにも沖縄生活を楽しむフツーの夫婦そのもの。唯一、他の人たちと異なるのは、妻の転勤で夫が仕事を辞めてまで一緒に移住してきたという点だ。

智太郎さんは埼玉県出身。東京都内に本社を置く医療系会社で働くMR(医療情報担当者)だ。多忙な日々をリフレッシュさせてくれるのは、学生時代から好きだった沖縄。休暇に合わせて何度となく沖縄を旅するうち、自然に「沖縄でのんびり暮らせたら・・・」という思いが芽生えていった。

佐賀県出身の恭子さんとの出会いは埼玉県内の支店に配属されていたとき。ひと回り違う年の差を感じさせない、落ち着いた雰囲気にひかれた。智太郎さんの盛岡転勤を機に結婚。仕事を辞めてもらい、一緒について来てもらった。

まだまだ先だと思っていたのに・・・

「初めての北国生活でしたから、いろんなことがありましたよ」と盛岡暮らしを振り返る智太郎さん。
転勤族ではあったものの、配属先はいずれも関東圏。地方で生活したことがない智太郎さんにとって初めて経験することばかりだった。

慣れない雪道で滑って転ばないようスパイク付の靴を買っては、「今どき、そんなもの誰も履かない」と笑われた。
車の来ない赤信号を渡って、地元の人に「ルールを守らない人」という目つきをされ、北国の人の真面目さ・律儀さを知った。 恭子さんは環境の変化と同時に、専業主婦という自分の役割にもフラストレーションを抱いていた。

卒業以来ずっと働き続け、それが当たり前だった生活から、夫を送り出し、家事をこなす毎日。新しい世界を切り開いている夫に比べ、社会からどんどん隔たっていく自分…。新しい土地に慣れ、友だちの輪を広げていくには仕事をするのが一番の近道。恭子さんは仕事復帰を決めた。
それから5年。新しい環境にも慣れ、充実した毎日を送る2人。いろんな友人もでき、厳しい長い冬を乗り越えて初めて感じる北国の春の喜びを分かち合った。5月の桜の花、短い夏の輝き・・・どれをとっても忘れられない思い出だ。
それでもやはり冬の厳しさはこたえた。

50歳を目の前にし、自分の年齢も考えた。智太郎さんの脳裏に再び「沖縄移住」の文字が甦ってきた。
恭子さんにそれとなく話すと、「ある程度、年をいったらいいかもね」とあっさり同意。下見を兼ねた旅行として沖縄にやってきたのは昨年の9月のことだ。帰りには住宅情報誌も何冊か入手した。ところが、旅行から帰ってひと月もしないうちに恭子さんの勤める会社で沖縄支店への転勤者が公募されたのだ。

俄然、前向きな態度を示すのは智太郎さん。目の前に出現した「沖縄移住」のチャンスを逃す手はない。一方の恭子さんにしてみると、移住はもっと先の話であり、先月の沖縄旅行も夫の好きな場所を2人で旅行するという程度にしか感じていなかったのだ。何度も話し合いを続けた結果、とうとう夫の熱意に折れた。それまでの蓄えもある。転勤なら経済的にも安定している。もしかしたら、いい機会かもしれないと思えるようになったのだ。

第2の人生に夢が膨らむ

一足先に沖縄入りし、引越しに伴う雑事は智太郎さんが引き受けた。
後任者への引継ぎなどが遅れ恭子さんが沖縄にやってきたのは、ようやく6月になってからだ。 朝には妻を送り出し、家事をこなす智太郎さん。ハローワークをのぞいて沖縄の情報を入手したり、資格取得の勉強をしたりと、充実した毎日。
これから何をしようか、第二の人生に対する夢は膨らむ。20年以上勤めた会社を退職したことへの後悔は全くない。

沖縄の実情を知ったうえで、自分が選んだ移住なのだ。 穏やかな人柄からか、移住6カ月にして既に模合にも誘われ参加。アドバイスをくれる友人もできた。2人でビーチクリーンのボランティアに参加したこともある。認識ある大人として、しっかりと沖縄生活を始めた2人。今後どのような経験を積んでいくのか、2人の「うちなーライフ」を見守っていきたい

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